スマホの画面をDIYで修理してみた 【Google Pixel 4a 5G編】
9月某日
ここまで2年近く無傷で使い続けてきたスマホを落としてしまった。
幸い画面は映るし問題なく反応がするものの、見栄えが悪いうえ、時刻が表示される左上の部分が破損している為使い勝手も悪い。
修理の相場を調べると3〜4万円程。
キャリアの保証には入っていない。
マイナスをゼロに戻す為にこの金額を払うのは気が引ける。
なんとなくネットで調べたところ自力でも交換できそうなのでチャレンジしてみることに。
失敗しても1万ちょっとだしその時は店に出そう。
恐らくまた画面は破壊すると思うので、備忘録的に今回の作業内容を残すことにしました。
チャレンジされる方の参考になればという思いと共に、素人作業の為Tryされる場合は自己責任での実施をお願い致します。
【準備物】
とりあえずこの機種は以下のものがあれば問題なく交換作業ができた。
ピンセット
新品のLCDと工具のセット
AliExpressにて購入
だいたい1万3000円程。
同じような出品がいくつかあるので、最も評価が高いものを選択。
画面を本体へ固定するための両面テープ
Amazonにて購入
SRI SHOP 3M 超強力両面テープ... https://www.amazon.jp/dp/B01GCJBQNC?ref=ppx_pop_mob_ap_share
【作業編】
作業前に念の為データのバックアップを取得。
不可逆的な失敗をしたら修理に出すしかなくなりデータがなくなる可能性があるので転ばぬ先の杖。。。
青いピック状のヘラを、画面と本体の隙間へ入れ破損した画面を浮かせていく。
ダメージが最も激しい箇所の近傍が入れやすい。最も激しい箇所から入れようとすると、画面が割れまくりなかなか浮かなかった。逆に綺麗な箇所の近くだとそれはそれで入れにくい。
損傷によりこのあたりは変わってくるので、探りながら入れていく。
ピックを立て過ぎると接着している両面テープを切れない上、内部へのダメージを与えかねないので極力画面と平行に近くなる角度で入れていく。
画面を浮かせることが出来たら、基盤とと画面を繋ぐケーブルを取り外す為に、固定しているツメを外す。
画面取り外し完了。
バッキバキ。元々は再表面のガラスのみ割れていたのだが、浮かせる時に液晶もバキバキに、、、
筐体の縁に画面を固定するための両面テープが残るので、付属の工具でガリガリ剥がしていく。
剥がし終わったら、新しい画面の動作確認をする為に1度新しい画面を基盤へ繋ぐ。この時ツメまで嵌め込まなくてOK。
無事画面点灯!タッチも反応する!とりあえず動作確認OK。
嵌め込んでから動かない!となると大変。。。
点灯確認が出来たら、画面の縁へ両面テープを貼り付けて行く。
細かくて気を使うため、緊張で手が震えてなかなか進まない。
両面テープを貼り付け終えたらいよいよ嵌め込み作業。筐体に乗り上げて浮いたりしないよう慎重に嵌めていく。
完成〜。
タッチの感度や操作感共に純正と遜色なし!
落とした衝撃で筐体が変形していたのでちょっと浮いちゃってるけど、まあこんなもんでいいでしょう!
2021 筑波 耐久茶屋
Sugo選手権での出来事を踏まえ、レースに出るか迷っていた。
茶耐に出ること自体はこの年の夏の時点で決まっていて、車両(NINJA250 SL)を借りてTC1000で練習したりもしていた(その時は37.4秒で走った)
最終的に出ることにした。
僕は筑波ライセンスを持っていなかった為、特スポで練習し予選、決勝に臨むという流れ。
迎えた特スポ。初走行のTC2000
2周くらいなんとなく走り10.8までタイムを上げ、ここから詰めていこうかとアタックを始めた1周目の1コーナー
まさかのフロントからスリップダウンを喫した。
転倒前フロントは完全にチャタっていた。
1000ccと同じブレーキングをしてしまった。
借り物バイクなのに中破させてしまった。
当然その後の皆の走行枠も中止。
パッと見て、
アンダーブラケット曲がり
つまりフォークも怪しい
マフラーは見ての通り
アンダーカウルに穴
急いで筑波から神奈川へ戻り、最低限アンダーカウルが車検に通るように直す。
しかし季節は秋寄りの冬。
常温では翌日まで樹脂は硬化しない。
幸い狭い部屋だったので暖房を全開にして風の当たる位置に補修したカウルを置く。
クソ暑いが泣き言を言っている場合ではない。
(まともな人間は真似しないように、、、)
翌朝
カウルは無事硬化していた。
2時間程寝て再度筑波へ向かう。
ピットにはたっちーさんが夜な夜な曲がり修正したマシンが既にあった。
マフラーやフェンダーはFNBSから借りた。
マシンチェックと倉田さんの慣熟を兼ねた予選を無事終え、決勝のスターティンググリッドに着くことが出来た。なんとかスタート1組目に食い込めた。
決勝スタート
満身創痍のSLとたっちーさんが、クラス表彰台圏内で走行を続ける。コレは行ける。絶対にこのレースだけは表彰台に乗らなければならない。
そう思って僕のスティントを迎えた。
が、
スティント終盤
ダンロップでコケた。
ハンドルが折れた。
マスターカップも吹き飛んだ。
あー、全てが終わったと絶望した。
退避エリアから半ば諦めた気持ちでバイクを押して走りながらピットへと向かった。
途中でカズートとFNBSが迎えに来てくれてバイクを引き渡した。彼等が見えた時既に泣きそうになった。
僕はもうリタイヤする他ないと思った。スペアパーツの有無も把握していなかったし、前日既に壊しているせいでマシンはもう限界だった。
しかし僕以外のメンバーは誰1人諦めていなかった。
僕はライダーとしてだけでなくレースに臨む人間として失格だった。
そして修理を終え無事にマシンは送り出され、最後のスティントへ向かっていく。
そのあと僕は人目をはばからず泣いたw
自分のミスで周りの人間の頑張りを全て台無しにしたこと
そして、どうしても表彰台に乗りたかったこのレースをフイにしてしまったこと
学生時代 そこそこハードに部活をこなしてきたけど、この時ほどの不甲斐なさと悔しさを感じた場面は無かった。
もうお金の事なんてどうでもよくて、ただただチームに申し訳なかった。
ただのアマチュア趣味道楽ライダーだけど、
これほど熱中できる趣味と同じ熱量で取り組める仲間に出会えた事は幸せな事だと学んだレースウィークだった。
ZX-10Rでロードレース③ SUGOロードレース選手権
このレースに関しては諸事情もあり、あまり記すことはしません。
淡々と僕の結果についての羅列だけ。
KRTのメンバーでSUGO選手権の最終戦にこぞってエントリーすることになった。
チームの皆は土曜日AMの特スポから走っているところ、僕はPMの2本だけにすることにした。
到着して1本目のタイムは1:40.2
調子は良かったと思う。
タイヤは6耐で2時間使ったタイヤだったし。
2本目は立て続けに赤旗が出た。2度目は大きなアクシデントの為そのままセッション終了。1lapも計測できず。
この2本目の2度のアクシデントで起きてはならない事が起きてしまった。
翌日の予選
バイクに乗るのが怖いけど、でもバイクに乗りたいという気持ちが混在した状況だった。
きっと走るべきではなかったんだろうけど、走ることにした。
わざわざ遠くまで来たからと損切りできない感情ではなく、純粋にバイクに乗りたいという感情があった。この時はまだ。
とはいえ状況が状況であり、フレッシュタイヤにしたけどタイムは43秒しか出なかった。
こんなタイムがリザルトに残るくらいなら、走らなくて良かった。楽しくもなかった。
決勝は身内5台のうち2台 shingoさんとshinjiさんが出走。
僕は出走しなかった。
shingoさんの出走直前のオンボード映像に、Haseからの「無事帰ってこいよ」とのエールが入る。
「無事帰ってこい」なんて普通に生きていて言われることなんてあるだろうか。
リスクが大きいモータースポーツ。とりわけ2輪は。とはいえ常日頃それが必要以上に頭をよぎることはこれまで無かった。リスクはあれどモータースポーツは乗り物を操る楽しさや目標と対峙する面白さをもたらしてくれる側面の方が大きかったからだ。
だけど趣味のサンデーライダーであれプロライダーであれ、程度の差こそあるものの生命を失うリスクとは隣り合わせだ。それを本当の意味で身をもって自覚した時は恐怖に苛まれ、怖くて何も出来なくなる。
後にも先にも、あの時の「無事帰ってこい」ほど重く響く言葉はない。
ZX-10Rでロードレース② 2021 SUGO6耐
エビスのレースに出た後、更にバイク欲が高まっていたところに嬉しい誘いの連絡が来た。
SUGO6耐出場の話だった。
声を掛けてくれたのは、僕が宮城時代にロードレースのピットクルーをしていたチームであるTribe Factoryの代表 関さん。
宮城にいた頃は自分が走る側に立ったことなんてなく、ましてや膝することで精一杯レベルだった自分が一緒にレースに出ようと誘ってもらえるなんて考えたことすら無かったからこの上ない嬉しさがあった。
エントリーするクラスは1000ccのマイバイクリレークラス
各自マシンを持ち寄り、交代する時は車両からポンダーを移して走り出すというクラス。
そしてもう1人のライダーはラブピーでピットクルーをしてくれたshingoさん
この3人で挑むこととなった。
この3人の中で僕が最も遅い。
けど菅生へ練習しに行く時間も無いので、TC1000や茂原で勘と身体だけはなまらないように練習することにした。
そして迎えた本番。
特スポはまさかの雨
一応走っておこうとしたけど転倒リスクがある為止めておくことに。決勝当日は予選と決勝のみなのでぶっつけ予選に。。。
最後にSUGO走ったの5月だよ。。。しかも1枠だけ。。。
予選。3人それぞれが走るので走行時間は多くない。
結局41秒くらいで終了。
ベストは更新したけどもう少し出ると思っていただけに残念。
前日の雨を恨む。。。
その後shingoさん、関さんが走り、順調にタイムアップした後 関さんが1番時計を記録してくれたことによりポールポジションに!
僕は完全にコバンザメ状態である(笑)
決勝
当初1スティント40分の予定を30分に変更(バテるので)
それを3スティント
それでも充分バテた。何回途中でピットに帰ろうと思ったかわからない。
僕のバイクだけシフターがないので手首がとても疲れた。
決勝中のベストラップは1:39.8だったと思う。
もう少し速く走れたけどコケたくなかったし、目標の40秒切りを達成出来たのでプッシュすることは止め40〜42秒くらいでラップした。
時折1コーナー進入時に電光掲示板を見る程度しかタイムを確認できなかったので細かいことは覚えていない。
僕のスティントで築いたマージンを無にしてしまうんだろうなと思ったけど嬉しい誤算で毎スティント抜かれることなく順位をキープしてリレーすることが出来た。
最終結果は2位だった。
表彰台に乗れたことは嬉しいけど、順位以上に普段仲良くしているshingoさん そしてこれまでだったら一緒にレースを走ることなんて有り得なかった関さんとレースに出れた、ましてや表彰台にまで乗れたということが何よりも嬉しかった。
この日の事は一生忘れないと思う。
普段はバイクを走らせる機会の方が多いけれど、
走らせてもらえる環境を与えて貰えたことに感謝。
サポートしてくれたClub Tribeの皆さん ありがとう。
いつもなら大きなレースの後はチームの集合写真を撮るんだけど、何故かこの日は無かった。
撮っておけばよかった。
ZX-10Rでロードレース① 2021 エビス Love&Peaceレース Rd.2
この年は10Rで3レースにエントリーした(出走したのは2レース)
もともとレースをやるつもりは一切なかったが5月末に初めてエビスを走って3秒台が出て、周囲に押されたこともありレースに出てみることにした。
7月 エビス ラブ&ピース Rd.2 64OPEN
前日は筑波でTTのピットクルーの為、特スポ走れず。
決勝当日の朝フリーと予選で勘を取り戻すぶっつけ本番強行スケジュールに。。。
朝フリーで3秒台に入ったので64OPEN卒業タイムクリア
最終的にこの日は朝フリーが1番速く走れた。
予選も3秒台で1位
迎えた決勝
勝てました。
スタンディングスタートは初めてな上にスタ練をしていなかったので、スタートで抜かれる展開だと予想はしていたけどまさにその通りになった。
その後すぐトップに追いついたけど中々抜けず、残り3周くらいの1コーナーアウトから抜いてそのままゴール。
4台しかいない寂しいレースだったけど、勝ててよかった。
台数は少ないけどレース慣れするにはとても良かったと思う。
10回の練習より1回のレースってこういうことなんだろうな。
雰囲気も他のサーキットより穏やかな感じで安心した。
それでもめちゃくちゃ緊張したけど。
賞品の酒はマジな酒だった。
危うく飲んで帰れなくなるところだった(笑)
この酒は本当に美味しかった。
JK型ZX-10R レーサー化
こうなる事は予想していた。
ついに街乗りをしなくなった。
街乗りとサーキットを遊びを両立するために中華トムサイクスカウルにしていたけど、街乗りする気が起きなくなった。
渋滞だらけだし保安部品つけたり外したり面倒だし。
ちょうどその頃、捨てる予定だというレースカウルを頂けることになった。ありがたい。
ここからレーサー化計画が始まった。。。
レーサーとは言ってもいつかまた街乗りしたくなる時のためにキットハーネスは付けず純正のまま。ECUも純正というカウルを変えただけの簡素な仕様。
やったこと
・頂いたカウルをそれなりに修理して塗装
・各種ステー類、バッテリーBOXは折り曲げで自作
・機関系はインテークのフラップ除去&それのスロボへ繋がっている配管除去
・忘れたけど不要な配管や部品の除去
・サーモスタット除去
・スプロケ変更 F15 R43
・チェーン520化
・スプロケガード
・スタンドフックをカニフックに変更
・マフラーステー自作
・リザーバタンク取り付け
・2次カバー自作&取り付け(厚みはMFJ準拠)
・転倒センサー移設
・レギュレーターをシートカウル裏へ移設(キットのオイルキャッチタンクがあれば不要な作業)
・バックステップ取り付け
・ブレーキパッド交換
・ブレーキラインをステンメッシュ化
・アクティブハイスロキット EVO2 φ48
こんなところ。
後にマスターをブレンボの19RCS
ディスクをブレンボスーパースポーツに
シフターが欲しかったのでダイノジェットのパワコマとシフターのセットを投入。
余談だけど、カワサキのドライブスプロケは本当に固い。
インパクトもダメ。炙ってもダメ。
最後はギアを入れ、リアブレーキを踏み5人がかりで車体を押さえつけてブレーカーに激長延長パイプをつけて外した。
ブレーカーめちゃくちゃしなってたし、多分マシンにも良くないと思う。。。
というわけでできあがり〜
仕事終わりにちまちま作ったのでソコソコ時間掛かった。
ヘッドライトステッカー貼りたい派なので自作して貼った。
1個目は失敗。
シェイクダウンは茂原で。
まともに走ってくれてよかった。
また、レーサー化するという事は同時にトランポが必要になるわけで、レーサー化と並行してトランポを10万円で調達した。
アクティバン なんと3AT(笑)
本当はミニバンが良かったけどタマが無かった。
置き場がないのでS2000は売ろうと思い査定に出した。
100万近い値がついた。
結局売るのはやめた。
でもやっぱり置き場はないのでとりあえず実家に持って帰った。
軽自動車の名義変更をしてみた 横浜編 ※登録地変更アリ
東京某所から軽バンを買いました。
私は横浜在住なので、名義変更をしてみました。
必要なもの
・印鑑
・譲渡証
・車検証
・新所有者の住民票
※横浜で移転登録にあたり軽自動車は車庫証明不要でした。
必要と書いてある誤情報拡散サイトが多々あるので時間を無駄にしないよう要注意です。
軽自動車検査協会の神奈川事務所へ向かいます。
建物に入り、5番窓口で申請用紙をもらい記入。
分かりにくいときは総合案内に要件を伝えましょう。親切丁寧に教えてくれます。
2番窓口に置いてある番号付きのファイルに入れ書類一式を青いケースに投入し、その後呼ばれる際に新納税申請書と税止めの申請書を貰うので記入します。
県外からの移転登録の場合は旧登録自治体へ納税ストップの連絡をとるか、軽自動車協会(今申請してる組織)に手続きを代行してもらう(印紙・手数料込み1000円)
面倒なので代行してもらうのが無難です。
記入したらまた2番窓口へ提出しましょう。
その後呼び出されるので、書類を受取り5番窓口へ提出します。
新しいナンバーが記載された書類が来るので、書き直して再度2番窓口へ提出します。
帰ってきたら6番窓口でナンバーをもらいましょう。
※ナンバー廃却のタイミングは、最初でも最後でも良いみたいです。私としては最後の方がいいかな。手続き失敗したら帰れないじゃんw
案内されるがままに進めたら一番始めにナンバー廃却しちゃったけどw